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ここまでの話をディープパープル風(※1)に振り返ると・・・ 結成~第一期(1997~1998年) エイスケイチコン(Gu) タクヤイチコン(Ba) 第二期(1998~1999年) エイスケイチコン(Gu) タクヤイチコン(Ba) シンスケイチコン(Dr) という流れである。そしてこのあと、 第三期(1999年~2000年) エイスケイチコン(Gu) タクヤイチコン(Ba) シンスケイチコン(Dr) アキライチコン(Gu) ということで、アキライチコンがこのあと加入している。 アキライチコンもイチコンメンバーと同じ大学の学部仲間であったことから第一コンバットに加入したのであるが、正直、いつどういうタイミングで入ったのか思い出せない。 ただアキライチコンが加入した頃に当時人気がうなぎのぼりだったミッシェルガンエレファント(※2)をコピー練習していたような気がする。そしてそんなミッシェル好きなアキライチコンもフェンダーのテレキャスを使用していたのではなかっただろうか。 アキライチコンに関してはそれくらいの記憶しかなく、いやそもそもアキライチコンはとても寡黙な人で、たぶん彼と僕との会話の全てをギュっと圧縮すると、30分カセットテープ片面に余裕で入るのではないかと思う。 彼の家で彼が僕にピンクフロイドのDVDをみせると僕が眠り、僕がプロレスの番組をつけると彼が眠っている、そんなかんじであった。 まぁ北海道出身の人は寒いからあんまり口を開かない性分なんだろうなんて思っていた。そして彼と出会ってから、北海道の人は無駄口は叩かないという偏見さえ持つようになってしまった。 さて、ここでもう一度、第三期のメンバー表をふりかえってみると、まだこの時点で(Vo)のパートがいないことに気づくことができる。やはりこのメンバー、4人が4人とも、演奏しながらは歌うどころか、一言も発するの一杯一杯な状況であった。 やばい、このままではベンチャーズ(※3)のような歌のないペケペケいってるだけのバンド、いわゆるインストゥルメンタルバンドになってしまうと危惧したのか、シンスケイチコンが当時バイトをしていたバイト先のブックオフで歌のうまいという人をみつけたので我々に紹介するという。もしやかつて「赤とんぼの唄」で一世を風靡した「あのねのね」(※4)ではないか、そうであればクニアキイチコンだなとかと勝手に胸をふくらませたりもしたのだが、そんなことあるはずもなく、そのバイト先の歌の上手い人というのは我々の二つ下くらいのボニーピンクの好きな女性だという。 やれセックスピストルズだ、やれラモーンズだ、やれミッシェルだと男臭いロックしか頭になかった我々に「ボニーピンク」といわれたところで、今でこそボニーピンクも知られているが当時はちょっと名前聞いたことあるくらいだなぁというかんじであり、いまいちそれをコピー練習することに男達はためらったのか、「ちゅうか女性ボーカルっていえばジュディマリちゃうん?」みたいな、つまり「ニッポンジンならオチャヅケやろうが」的なノリで、ボニーピンクの話は完全に無視してその女性ヴォーカルを迎えて第一コンバットはスタジオ練習でジュディマリをやることとなった(もちろんこの時にこの女性ヴォーカルに第一コンバットなんて奇異なバンド名は伏せたままで)。 初顔合わせ当日、男4人の密室であるスタジオに、お年頃の女性1人で訪問するのは危険であると判断したのかしなかったのか、ボニーピンク好きな女性はお友達を2人連れて登場した。 ジュディマリの曲を2曲、ブルーティアーズと何かをコピーしたのだが、もちろんそのボニーピンク好きな女性は、ボニーピンク好きなだけあって、歌も大変上手く、また第一コンバットも初めて人の目に触れるということもあり(たった3人ではあるが)事前練習を頑張っていたせいか、それなりに演奏できた。 しかし、どうにも空気がまざらなかった。 これはボニーピンク好きな女性になんら不備があったわけではない。 当時の第一コンバットメンバーは、今の第一コンバットよりも、かなり殻に包まれた人格を有していた。 そのため、当日のスタジオでは、第一コンバットのシンスケイチコン以外のメンバーがどうにも高倉健の「自分不器用ですから」的部分のみを醸し出し、なんというのか「不器用な高倉健3人衆」ができあがってしまい、もちろん今回の縁談の仲人役シンスケイチコンもそんな3人衆をまとめ上げるまでの器量を有しておらず、結局そのスタジオでは、「ボニーピンク好きな女性が“不器用な高倉健3人衆によって無骨に奏でられるジュディアンドマリーのブルティアーズ”を歌っている」のを付き添いにきている二人の女性がポカンとみているという図式ができあがってしまった。 この縁談が破談になってしまったことはいうまでもない。 <つづく> ※1 ディープパープル風 1968年に結成されたイギリスのハードロックバンド。代表曲スモークオンザウォーターは、初めてギターを握ったロックキッズならまず試してみるフレーズの代表である。そんなディープパープルは1976年に一度解散したが、1984年に再結成し、今に至るのだが、メンバーが都度かわっており、かわるごとにその時期は第●期と呼ばれ、スティーブモーズやイアンギランが在籍する現在のバンドは第八期というように呼ばれている。 ※2 ミッシェルガンエレファント 91年に結成され03年に解散した日本のロックバンド。ちょうどこの当時はフジロック出演や「ぷらちなロンドンブーツ」での主題歌使用などにより人気の高まっていた頃で、当時の第一コンバットは「バードメン」や「ゲットアップルーシー」などをコピーして楽しんでいた。 ※3 ベンチャーズ 1959年に結成されたアメリカのサーフロックバンドで、曲に歌はないいわゆるイントゥルメンタルバンドである。ここ日本においては、ビートルズと並ぶロックの祖とされるほどの偉大なバンドなはずである。タクヤイチコン、エイスケイチコン、シンスケイチコンらは淀競馬場の夏祭りの出店のアルバイトをしていたときに、地元のガキんちょ達がいっぱいくるようなちんけなお祭りだったのだが何故かそこでロックの祖、ベンチャーズがライブをしていた。しかしそんな偉大なる光景も関西のガキんちょに通じるわけはなく、金魚すくいや輪なげを担当していたタクヤイチコンはガキんちょ達にかんちょーされまくっていた。 ※4 あのねのね 清水国明と原田伸郎によるフォークデュオ。結成当時はメンバー4人で残る二人は笑福亭鶴瓶とその妻だった。清水国明の姉はパートさんからブックオフの社長になったことで有名。
by yokajihideki
| 2007-01-18 03:25
| 実録 第一コンバット十年史
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