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2000年3月、第一コンバットのメンバー4人は無事大学を卒業。それぞれ就職し、エイスケイチコン、タクヤイチコン、アキライチコンは首都圏に配属となる一方、ドラマーのシンスケイチコンは大阪で就職という形となり、シンスケイチコンの事実上の脱退という結果となった。
そして、第一コンバットの活動の場は、関西圏から関東圏へと動くこととなったのであるが、いかんせんバンドという組織体において、メンバーを集めるのにもっとも難しいのがドラマーという職種であり、またドラマーがいないバンドは、バンドとして格好を成さない。そこで、ギターであったアキライチコンがドラマーを勤めることにより、第一コンバットが関東圏で維持されることとなった。 第四期 第一コンバットメンバーは以下のとおり ・エイスケイチコン(gu) ・タクヤイチコン(ba) ・アキライチコン(dr) とはいえ、このバンド、ドラムは即席である上に、タクヤイチコン・エイスケイチコンも社会人1年目ということで練習もままならず、スタジオ練習と称して、オアシス(※1)やオフスプリングを数曲カバーする練習をしようとしたものの、その演奏はオヤジバンドばりの崩壊寸前のものであった。 そしてそんなスタジオ練習は、2000年に埼玉県で2回程度行われたのだが、その後は、第一コンバットとしての活動はなくなり、今考えると、この頃から、事実上の第一コンバットの活動休止期間に突入したのであろう。 そんなかんじで、この3人が顔を合わせることも滅多になくなったのであるが、2002年秋頃、レッチリの埼玉スーパーアリーナのライブに一緒に行くことになった。 久々に顔を合わせたアキライチコンは、勤め先の銀行のリストラクチュアリングにより、行員全員がボーナスカットの話を物静かにこぼしていたのだが、これまで着飾ることの余りなかった彼が、首からチョーカーをぶらさげていたことに、これまでにない雰囲気の変化を僕は感じとったのを今でも覚えている。 そして、その直後からアキライチコンは音信がとれなくなり、消息不明となった。タクヤイチコンが連絡しようが、エイスケイチコンが連絡しようが、プツリと彼は行方不明となったのだ。 アキライチコン、本名スガワラアキラ 消息不明地:埼玉県 出身地:札幌 第一コンバットが未だに活動する理由は、名を挙げることによって、行方不明になったアキライチコンを探し出すこと。そうすればいつか、アキライチコンは僕たちのもとへ帰ってきてくれるに違いない。家出番組に出演する見捨てられた子供たちのように、エイスケイチコンとタクヤイチコンは声を張り上げて彼を探すのでした。 <つづく> ※1 オアシス イングランド・マンチェスター出身の1992年デビューした、いわずもがなUKのスーパーロックバンドでブリットポップ・ムーブメントの代表格。日本ではロック好きの中でも、比較的おしゃれさんが聴くこととなっているカテゴリーでもある。逆をいえば、合コンで「私、ロックが好きー!」という女性に、好きなバンドは?と聞いて「オアシス」と答える女性に、調子に乗って、あまりマニアックなロック話をしても、たいていウケが悪いので要注意。現在の第一コンバットでは、ドラマーのヒコが愛するバンドであるが、アキライチコンも愛好家であった。 #
by yokajihideki
| 2008-02-17 22:53
| 実録 第一コンバット十年史
ノストラダムスの大予言とか2000年問題といった、天変地異的なものも、トランプの大富豪における革命的なものも結局は何も起こらず、つまりはやはり、まともに社会人になるしか道はないのだとそろそろあきらめの入りかかった大学4年の2000年1月。
最後の大人になる前の抵抗、いわゆるレジスタンスとしての「よぉ!カジヒデキ」のレコーディングは無事順調に進められ、出来栄えもよく仕上がった。 このできあがった曲は、それまでに制作されたファーストアルバム「一魂」、そしてセカンドアルバムとして着手されかかっていた「二根」に収録されていた他の曲とは、クオリティが格段に上のものであった。これは決して第一コンバットの演奏力が上がったというものではまったくなく、レコーディングに取り組んでくれた渋井君の知識と腕と、そして現代の宅録技術によってもたらされるものであった。 レコーディングにおいては、 (1)ブラーのドラム音素材をもとに、「おれデイヴグロールみたいなドラムサウンドがいい」というタクヤイチコンの大雑把で勝手なリクエストもとにして渋井君がドラムトラックを作成(通称打ち込み) (2)エイスケイチコンがギターをフレーズフレーズを録りなおしながら、それを渋井君がつなぎあわせる (3)タクヤイチコンがベースを一音一音録りなおしながら、それを渋井君がつなぎあわせる (4)エイスケイチコン・タクヤイチコンがスタジオで勝手に叫んでいるのを渋井君が必死にマイクで録る という経緯でおこなわれ、バラバラ殺人にあった死体を、傷跡ひとつなく、見事立派によみがえらせたというべき、渋井君の、現代のお茶の水博士ともよべる、すこぶる卓越した手腕であった。 さて、この見事、渋井君のおかげでできあがった「よぉ!カジヒデキ」をどうやって人様に聴いてもらうのか?できあがりがよかったために、初めて第一コンバットに、これまで芽生えもしなかったそんな欲求が沸いたのだ。 当時はまだまだアナログな時代で、インディーズバンドが曲を普及させるには、ライブをやってそのデモテープ等を配布するなんてことが頻繁におこなわれていた時代であったが、いかんせん第一コンバットはライブができない(歌をうたいながら楽器を弾けないので)。そこで、ナローバンドしかないその時代に、インターネット上で公開するという当時としては先進的な方法を選ばざるをえなかった。 そもそも、インターネットへの第一コンバットの対応は偶然にも早かった。第一コンバットのオフィシャルサイトというものが、1999年3月から「第一コンバット.co.jp」というタイトルで運営されていたのだが、これは第一コンバットのメンバーとのゆかりの深かったしばを氏が、就職活動対策としてアピールするネタとして、勝手に作ったサイトで、彼はそのこともあって現在も無事SEという職ついている。調べてみると「2ちゃんねる」が立ち上がったのが1999年5月であるから、いかに第一コンバットが先進的であったかがうかがえるが、バンドとしての活動実体がほとんどなかった第一コンバットにとって、アップするべき情報などたいしてあるわけもなく、2ヵ月後には、オフィシャルサイトなのに第一コンバットの情報はほとんど載ることもなく、しばを氏の個人サイトとして勝手に運営されるようになり、そこに集まる第一コンバットなんて知る由もないロック好き5~6人程度がBBSで雑談するようなサイトとなってしまった。 よって、「よぉ!カジヒデキ」ができあがった2000年2月には、第一コンバットオフィシャルサイト「第一コンバット.co.jp」を利用する人においては、「第一コンバットってなに?」みたいな状態になってしまっていたものであるから、初のオフィシャル音源をそこにアップする理由などあるわけもなく、アップする場のなくなった曲を抱えてしまったタクヤイチコンは、「第一コンバット.co.jp」の姉妹サイトとして、新たに自分で「イチコン荘」(※1)というサイトを立ち上げ、そこに「よぉ!カジヒデキ」をアップロードしたのであった。 <つづく> ※1 イチコン荘 2000年2月頃にタクヤイチコンが、「よぉ!カジヒデキ」をネットにアップロードするために、「第一コンバット.co.jp」から分離して立ち上げたサイト。とはいえ開始当初は音楽サイトとはほど遠く、タクヤイチコンの知り合い達の不幸度合いを、勝手に毎週ランキングにして発表する企画や、タクヤイチコンの知り合いで、お互いには見知らない男女を、サイトの掲示板上で二人で会話させてそれを見守る「お見合い荘」という企画等、好き勝手放題な企画を行っていたが、野球解説者の川藤幸三さんのように、精神論で一方的にベーシストを批評してしまおうという連載企画「愛すべきベーシスト達」により、徐々にロックファンがサイトに集まり始める。その後、「第一コンバット.co.jp」を自分のサイトに変えたしばを氏も自分のサイトを閉鎖し、イチコン荘に参加。またロックジャケアイコラシリーズの展開や、大貫憲章氏のロックイベント「ロンドンナイト」をパロった「チャンコナイト」などのイベント実施の好評により、サイト閲覧者も増え、全盛期には日に100人程度が訪れるサイトとなったが、blogやmixiといった時代の変遷の波にもまれ、サイトそのものは残っているものの、ここ数年全く更新されていない状況である。 #
by yokajihideki
| 2008-02-17 22:50
| 実録 第一コンバット十年史
就職活動も終わり、大学生最後の夏も終わった第一コンバットに、解散の二文字が迫りつつあった。多くの大学生が社会人になって、大人の階段のぼる過程において捨て去る夢ように、第一コンバットという活動が捨て去られる時期も迫りつつあったのだ。
第一コンバットの3年間の活動は、ほとんど人の目に触れることはなかった。もしそんな活動が、社会人になり、会社にバレてOLさん達に「ねぇねぇ第一コンバットってなに?」なんて言われようものなら、きっと「えっ?なに?そんな怪しいバットなんて知らないよ。そんなのは頭の悪いヤツがやるもんだよ。それよりカフェでもいこうよ。」とそしらぬ顔をしてしまう大人になるのであるから、社会人になる前に、履歴書に残らないように、なかった秘密活動として消し去るほかはないのだ。 そんなことを心に決めていたタクヤイチコンに、同じバイト先の渋井君が、話をもちかけた。 原色と革ジャンの服しか身にまとわず、ロックしか聴かず真っ赤なママ原付に乗るタクヤイチコンに対して、スウェディッシュポップ的な音楽やおしゃれな服しか身につけずべスパに乗るおしゃれ青年であった渋井君は真逆な人種であったのだが、二人の共通項としてベーシストという点があった。タクヤイチコンが「おれのベースではチョッパーの音はそもそもでねぇ」と決めつけていたのに、いともたやすく同じベースでチョッパーを弾いてみせたのが渋井君であった。この渋井君という人はその後、orange pekoe(※1)というとてもオシャレなバンドのCDでベースを弾くなど、なかなか凄い青年だったのだ。 そんな渋井君が第一コンバットの音源を聴きたいという。 あきらかにゴミのようなノイズしか入っていない第一コンバットの音源を聴かせていいものだろうか?ベースなんてギターと全然音あってないし、リズムなんてないし、歌なんて雄たけんでいるだけだし、そんなものを聴かせていいものだろうか? とりあえずおそるおそる、彼に、我々のファーストアルバム「一魂」のMDを手渡しした。 数日後、渋井君が目を丸くしながら話しかけてきた。「いやぁ、凄いよ、あんなの聴いたことないよ」と。 そりゃそうである。あんなゴミのような音源集は私もいまだに聴いたことがない。 ところが、耳を疑ったことに渋井君は目を丸くしたまま「あの曲、ちゃんと録音しようよ」という。 渋井君の部屋にはかなりの宅録機材がそろっており、プロ顔負けのレベルの高い録音ができるのであるが、どうやらそこで録音しようと言っているようである。 「あの曲ってどの曲?」 「いやぁ~、よぉカジヒデキとかいってる怪しい掛け声が耳から離れなくてさぁ」 よぉ、カジヒデキ(※2)・・・ 思い返せば、1998年1月、タクヤイチコンとエイスケイチコンが成人になる成人式の日に「よぉ!カジヒデキ」は生まれた。 タクヤイチコンもエイスケイチコンも実家は九州だったのだが、住民票は既に大阪に移されており、そんな二人は大阪の成人式に行っても、知っている人なんているわけもないので、成人式には参加しないつもりで、前の晩からエイスケイチコンはタクヤイチコンの部屋に遊びにきて、珍しく飲んでいたのである。 その夜中、テレビでは、FM802のDJで、関西人では知らない人はいない「ヒロT」こと「ヒロ寺平」による音楽番組が放送されていた。その番組では、当時アメリカ音楽シーンの中心になっていた黒人ヒップホップ的な音楽のプロモーションビデオやら、半ズボンのカジヒデキ氏のインタビューなどが流れていた。 酔っていたタクヤイチコンとエイスケイチコンは、とりあえず相撲取りのようないわゆる「デブの人の声」でヒップホップの真似事をはじめた。つまり当時の第一コンバットには、HIP HOPというジャンルは「太った黒人が関取のような声で歌う音楽」と位置づけられていたのである(これは、当時見にいった「山嵐」のライブの前座に出ていた太ったヒップホップ集団「ラッパ我リヤ」がライブ後、山嵐の出番中にタクヤイチコンの横で、はぁはぁいいながら、汗をふきふきしていたことにも大きく起因していたのであるが)。そしてタクヤイチコンとエイスケイチコンは、どうみてもツッコミどころ満載なのに当時おしゃれの象徴的に扱われていたブラウン管のカジヒデキに「よぉ、カジヒデキ」とデブの声で、掛け合いをはじめたのである。 酔っ払って悪乗りしていた二人はとりあえずその様子を、テープレコーダーに録音をはじめた。そしてその音源に映画の爆破音やら、田中邦衛の声やら、タクヤイチコンが適当に弾くベース音をサンプリング(というかオーバーダビング)を施し、成人を記念する初音源としてまとめた。そしてその音源はボーナストラック的位置づけで、ファーストアルバム「一魂」の最後に入れられたのだった。 つまり、もともともの「よぉ!カジヒデキ」は、ロックではなく、デブが汗をかきながら歌うようなヒップホップだったのであるが、その音源に渋井君が何故か惚れ込んでしまったのである。 「でも、あの曲ロックじゃないから録音できへんのちゃうん?」というタクヤイチコンの素朴な質問に対して、「とりあえず、こんな風にしたいっていうロックのCDをうちにもってきてよ、それでその場で音作りしていこうよ」と、まるで昼飯は松屋でカレ牛食えばいいじゃん的軽いノリで渋井君が言ってくるので、つい「わかった、ギタリストつれて録音しにいくよ。」ということになってしまったのだった。 <つづく> ※1 orange pekoe 1988年関西学院大学で結成された音楽デュオ。ジャズやボサノバやサンバテイスト等があり、ジャンルを特定することは難しいが、独特のポジションを獲得しているのだそうだ。関西のカフェやライブハウスで活動していたとのことで、その頃に渋井君とも知り合ったのであろう。2001年4月インディーズデビュー。2002年4月メジャーデビュー。 ※2 カジヒデキ 本名、加地秀基 1967年千葉県出身。意外なことにハード・ロックやパンクを通過したという彼は、ロリポップ・ソニック(後のフリッパーズ・ギター)のライヴに衝撃を受け、ギター・ポップに開眼。89年にブリッジを結成し、フリッパーズ・ギターとともに日本中にネオ・アコ旋風を巻き起こす。そして解散後の96年にシングル「Muscat E.P.」でソロ・デビュー。ブリッジ時代より接近していたスウェディッシュ・ポップ風味た~っぷりの胸キュン!ギター・ポップが人気を博し、渋谷系界隈で大ブレイクする。また、スウェディッシュ・ポップを日本に流布した功績も大きい。半ズボンとギンガム・チェックに代表されるそのファッションやライフスタイルなど音楽以外の側面からも、常に注目を集める存在となる。なお、現在オンエアーされているエッセンシャルのシャンプーのCMソングもカジヒデキ氏の曲である。 #
by yokajihideki
| 2008-02-17 22:47
| 実録 第一コンバット十年史
11/11、印刷の酒井さんを迎えての浅草KURAWOODでのライブ、 12/1、西荻窪TURNINGでのライブ、 12/15、渋谷Club CrawlでのX'masライブを終えて、 2007年の全てのライブを無事終えることができました。 今年は、通常のライブのみならず、 屋外でのライブ、昼間のライブ、印刷の酒井さんというスペシャルゲストを 迎えてのライブと、おかげさまで非常に楽しいライブに挑戦できた一年でした。 また、当初予定しておりましたニューアルバム(3rd)「サンコン」も まだ完成しておりませんものの、 mf247等でリリースしておりますレコーディングした曲の リークは好評を得始めており、有難いかぎりでございます。 <mf247 第一コンバット> http://www.mf247.jp/index.php?gr2_id=00000000000000000000000000554850 <第一コンバット 2007年ライブ映像> You tube <第一コンバット mixiコミュニティ> http://mixi.jp/view_community.pl?id=410594 来年こそは、未完の大作「サンコン」を完成させたいと。。。 2008年もどうぞ宜しくおねがいいたします。 #
by yokajihideki
| 2007-12-16 21:31
| バンド情報
第一コンバット--ゲスト酒井素樹-- のスタート時間は 14時50分です。 場所は浅草KURAWOODにて http://www.kurawood.jp/ チケットは当日rライブハウス受付で発売 事前予約としてメールでお名前と必要枚数を 以下のアドレスまでご連絡ください。 tichikon@hotmai.com 現代にあるもう一つのシャングリラをお見逃しなく!! #
by yokajihideki
| 2007-11-05 20:19
| ライヴ情報
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